底辺ニートは社会復帰の夢をみる

社会復帰を目指す底辺職歴なしニートの日記帳

似たものなのかもしれない

父が久しぶりに早く戻って来た。

前々から通っている腰と泌尿器の診察があるため、

会社を早引きして診察を受けて来たということだった。

腰の調子はそこそこらしいが、未だに性器の管が取れていないので

そちらの調子はよくないらしい。

持病の糖尿病の所為だとか、そうじゃないとか詳しい事は不明らしい。

まぁ、死ぬようなことではないので良いわと本人も言っていた。

 

今日はこのまま昼寝でもしているのかと思ったら

珍しく夜に予定が入っているという事だった。

どこに行くのかと問うと飲みに出かけるという事。

ただし、自分は飲まないけどねと付け加えて出かけた。

飲まないからすぐに戻ってくると出かけたのが5時ぐらいだった。

しかし、今の今まで戻ってきていない事を考えると

結局は飲む事になったのだろう。

優秀な父ではあるが、そういう初志貫徹できない部分もある。

そういうだめな所を見ると、やはり親子なのだろうと感じる。

縁切り

よく眠れた日だった。

前日、1時間しか眠れていないせいで昨晩は後半につれて

眠気がどんどん強くなり、最終的に読んでいた小説を投げ出して

倒れる様に眠りについた。

朝はわりと寝覚めがよかった。

やはりよく眠ると気持ちが良い。

気持ちよすぎてもっと寝たいとすら思った。

それは良くないと思っていたが、食事の後布団に少し

横になって小説を読んでいるとそのまま夢の世界に旅立ってしまった。

起きたら10時だった。いかん。来週から1回でもこれを

やってしまうとゲームーバーだぞ。気をつけねば。

 

夜、父と話していた。母と、そして妹の事だった。

妹、といっても私が妹とはっきり認識できているかというと微妙なのだ。

母が離婚して、1歳の私をおいて出て行った後

どこかの誰かさんと作った子供が妹であるのだが

母の気まぐれというか、なんというか小学生3年生ぐらいの頃に

その妹と、というか母の家に泊まる事になった。

両手の指で数えられるぐらいしか会っていない。

一緒に過ごした期間は合計しても1か月か、2か月。

母が私を家に招くのが、愛情ではなく養育費という名目で

お金をせびるのが目的だったことが分かってからは連絡は一度も取っていない。

 

さて、わきに大分それたのだが父との話の内容はこんな事だった。

「お前の母親が死んだら、多分妹がそれを知らせに来ると思うけど

お前、その時どうするの? 縁を戻すの?」

縁を戻すというのは、母が私を家に招くのが

愛情ではなくお金目的だったという事に気づき

心から絶望した時、「あいつらは縁を切る!」

といった事から来ているのだと思う。

私は小さく「たぶん」とだけ答えた。

 

私は一度、会いたいといった妹を拒絶している。

どうせお金目的なんだろう。母親が散々お金をせびって言い辛くなったから

お前を代役に使ったんだろう? という考えしか頭に浮かばなくて

少し遠い言い方で「お前とは会いたくない」と言った。

今思うと、なんて心が狭いんだろうとは思う。

母は母で、妹は妹だった。

詳しい話も聞かずに遠ざけたのはよくなかったとすら思う。

 

次、もし会う機会があったら少し面と向かって話してみようか。

そういう日が来るかは分からない。何せ、私は向こうの連絡先も知らないのだから。

機会が与えられるのか、与えられないのか。

それはまだ分からない。

説明会

5日午前1時、何時もの様に眠りについた。

今日の10時には説明会がある。

大体の場合、こういう時は寝付けないのだが

なんだ、大したことないなと思っていた。

起床は2時。ぜんぜん大したことなくなかった。

緊張はしていないと思ったが、バリバリ緊張していたようだ。

脳みその中の出来事なんて分からないが、

この時私の脳みそは活発に動いていたのだろう。

そのまま目をつぶって4時過ぎまで転がっていたが

4時半になって流石に寝るのは諦めた。

眠いけど、眠くないという最低のパフォーマンス。

そんな状態で何かができる訳もなく

仕方なく動画を見たり、音楽を聴いたりして時間を潰した。

 

その後、なんとか寝落ちせずに説明会に出席した。

年齢層は結構ばらばらだ。

50、60代。40、30代。年上ばかりだ。

とりあえず、私と同じザ・ニートといえる人物はいなさそうだ。

給付金を貰う人も結構いた。

私は父が働居るので貰えない。ちょっと欲しかったが……

まぁ、何はともかく説明会は無事に終わった。

受付が終わり、これで私は来週から訓練生になる。

ニートの肩書、やっとすてる事ができそうだ。

一時的になるか、永久的になるかは自分次第である。

嫉妬の心を力に変えたい

最近、嫉妬する事が増えて来た。

凄く上手い絵、面白い小説、ゲーム。

苦しくても立派に働く人たち。

そういう人たちを見るとむくむくと嫉妬の心が湧いてくる。

でも、同時に思う。

「何を頑張っていないくせに」

そう、最近の私は頑張っていなかった。

明らかに努力を怠っている。誰が見ても明らかだ。

でも、同時に思う。そうやって誰かをうらやむ気持ちがあると同時に

自分もそうなりたいという気持ちが混在している。

なら、頑張れるはずではないかと。

 

最近、自分が怠っていたのは目標を見失っていたからだった。

同時に努力に無意味さを感じていたからだ。

私は頭が悪い。人の倍やっても記憶ができない。

容量も悪い。人の半分くらいしかできない事も多い。

 

そんな自分が何をやっても無駄だ。

何にもなれっこないのではないか。

最近はそんな思いを抱き始めていた。

どんな時でもポジティブに。そう思ってはいたが

上手くいかない続きであったのでそうもいかない。

足をとめかけた事も何度もあった。

だが、何時か何か変わるのではと思い

歩き続けた。その時、私の胸にあったのは

その歩みを進めてくれていたのは決して明るい気持ちではない。

それは、嫉妬の心なのだ。

自分にないものを持つ人を羨み、妬んでいた。

それが欲しい、欲しいと、その思いだけが歩みを進めてくれていた。

 

正直、私は悪感情というものに良い印象を抱いていなかった。

昔の人を見下していた時期の経験からだ。

そういう感情は抱いてもいけないとすら思っていた。

だけど、今思うにそういう感情も使い方だ次第では良い方向に転ぶのだ

という事が分かった。というか、そういう思いを抱かない人間なんていないし

抱いてしまうのも仕方ないのだ。

 

問題なのは使い方だ。

それを人にぶつけないで、ひたすら自分の中で燃やす。

ガソリンとする。

そういう使い方をこれからは心がけていきたい。

明日からまた少しずつ始めて行こう。

物事に遅いことなどないのだから。

 

さぁ、明日も頑張るぞ!

 

 

夏がやってきた

我が家は2階にパソコンをおいている部屋がある。

しかし夏の2階はすさまじい熱気でそこにいるだけで

苦行に等しいといっても良い、今日もシャツを2枚汗で駄目にした。

冷房があるにはあるが効きが悪く、時にはものすごい熱風を吐き出してくる

時もあるため、おいそれと頼る事はできない。

となると窓を開けるしか対処はないのだが、それでも暑いものは暑い。

梅雨が過ぎつつある今、もうすぐ本当に夏がくるのだなと感じる。

だが、今でこれなのだから本格的な夏が来たら地獄だなと感じる。

 

まぁ、職業訓練があるので午前中はきっと

冷房が効いた部屋に入れる筈だ。

でも、あの部屋冷房がなかった様な……

気のせいと思いたい。

出来る様になるべき事

父と話をしていた。

内容は保険についてとか、

死後の家族葬はあそこに頼めとか

大家さんの家は場所は此処だから覚えておけとか

そういう感じの話だった。

今すぐ死ぬという話ではないけど、長くてもあと10年ちょっとだ。

なので少しずつ家庭の事について教えて行こうという話だった。

 

思えばただのニートの頃はそういう話は

偶に出てくるけども、覚えろという事はなかった。

そうなると少しは認めてくれているという事になるのだろうか。

それは嬉しい事だけども。

 

 

車に乗って

父の車に乗って出かけた。

愛用していた散歩用のスニーカーがぼろぼろだったので

買い換えたいという事をお願いしての外出だった。

平常時は問題ないが、雨の日なると開いたと思われる穴から

水が入ってきて、一瞬で靴下がびしょぬれになる。

毎度、この調子になるのはご遠慮願いたいという事で

今日、父の都合もよかったので外出となったのだ。

 

店について、父が一言。

「革靴も必要ではないのか?」

そういえばそうだ。まだ決まっていないが

会社の面接もスーツに革靴だ。

今までは靴は父に借りていたが、いつまでもそういうわけにはいかない。

せっかくなのでそろえる事になった。

といってもそこまでお金をかける事もできないので

安いものだったが。

しきりに父がださいださいと口にしている。

私から見るとそうは見えないのだが

まぁ、社会人経験のない私のセンスはあてにならない。

といっても昔から父が私に買ってきた服のセンスを考えると

やはり父のセンスもあてにならないのだが……

 

ただ一つ分かるのは、

ケチりにケチった私のスニーカーはものすごくださかったという事だけだ。