色々なものを始めようとした時、
とりあえずTwitterを始めてみようとした。ものすごく手軽だからだ。
色々な人と繋がって、社会の窓を広げよう。
そう思いつつも、探しているのは同じ境遇の人ばかりで。
なるほど、自分は傷をなめ合って安心したいだけだったのか。
と、気づいた時、ぱったりとつぶやくのをやめた。
今日、退会処理を済ませて来た。
どこかすっきりした気がする。
最もそれを悪く言うつもりはない。
同じ痛みを共有する事で前を向けるというのはあると思うし、
大体の場合、心の痛み。苦労。悲しみ。辛さ。
そういうものは一人で持つには重すぎるものなのだ。
必死に言おうと理解はされず、
「どんなにつらかったか、分かる」などという輩は全く理解しない。
それが当たり前の中で、痛みや苦しみを共感して、
一緒に受け止めてくれた相手がいる、というのは大きいのだろう。
だから、そういう人がいる人はどんどん傷をなめ合うべきだ。
1人で1人前じゃなく、2人、3人で1人前だっていいのだ。
人数の分だけ土台は硬い。もしかすると、そっちの方が強いかも、と私は思う。
が、私はそこに該当しないだろう、と思うのだ。
普通、人は不住を満喫できない。現状に不満ならそれを変えようとするだろう。
だが、私はそこを自分の生活レベルを落とす事で
なんとなくやりすごしてしまうのだ。
妥協の中で生きて来た故の弊害ともいうべき、
「現状に満足する」というどうしようもない性質が根っこにあるのだ。
そして、それはとても根深い。根治にはもう十年ぐらいかかるかもしれない。
今は「少し気になるな」とか「ここがわからない」
と思ったらガンガンとGoogleを使ったり、
本屋に行くことにしている。分からないから諦める。
が、普通だった私が、と思うと少しは改善されているのかもな、
と思いつつ気を抜きそうになるが、気は抜けない。
実際、先日気を抜きすぎて昼過ぎまで寝ていた。
今、ものすごく気を付けている。
冬場の所為か、布団の誘惑はものすごく強い。
まぁ、あと1カ月半で今年は終わる。
此処からはなるべく駆け足でいかねばならない。
アルバイトにせよ、正社員にせよ。
本当の意味でニートから卒業できるかは
この1カ月半にかかっているのは間違いないのだ。