底辺ニートは社会復帰の夢をみる

社会復帰を目指す底辺職歴なしニートの日記帳

自己の理解

自分の事なんてなんにも分かっていなかった、十代~二十代前半の事を思い出す。

私はよく、「バイトしてなかったの?」「しようと思わなかったの?」

と、いう質問に対して

小さいころ、強くなかった自分を助けてくれる父を見て、

甘えが染みついてしまったとか、何をするかわからず行動できなかった、と返す。

 

「私も、二十代の頃はそんなもんだったけどな。働けたよ」

 

なるほど。まぁ、そうですね。としか言えない。

確かに過分というか、ほぼ悪いのは私なのだし、

やりたい事、やるべき事。そんなものがなくても働ける人が

いるというのは同意なのだが。

 

そういわれても、貴方は貴方で私が私です。という事なのである。

貴方は働けた。でも、私は自分自身が納得できる答えを

自分の中で見つけられなかった。その間に父が死んでいれば、

当時の私は迷うことなく、生活保護行だったであろう。

餓死? それはない。 では働いた? おそらくそれもない。

ただ、今の様な暮らしをどうしたら続けられるか、という答えの

最適解として、当時の私はそれを選んでいただろう、という事は想像にたやすい。

が、そんな事は言えるわけがないのである。どう考えてもクズである(自覚はしてる)

 

私は小学から専門学校まで。ずっともやもやを抱えていた。

決まった道を歩いて、たまに少しのお金を貰う。

どうしても欲しいものがあった時だけバイトをして、

基本的にはお金がないからと諦める。

多くを欲さず、諦め、妥協。そうやって最短経路を

最低限の労力で進める道をなるべく選択して歩いた。

これでいいと思う反面、ずっと自分だけの道を歩きたいと思っていた。

 

創作を始めた時、これだ!と感じた。

そうして自分の道だと歩いた専門学校が、

結局、誰かの歩いた道の模倣にしか過ぎないと気づいてしまった時、

何もかもに絶望して、ついでに経済的にもやっていけない事も分かって、

じゃあ、仕方ないや。と、妥協してやめたのだ、私は。

 

これからじゃない、未来がある!

ときれいごとをよく聞く。まぁ、確かに私も其処は思っている。

でもまぁ、大体の人が見るのはこれまでの事であるので。

これまでが真っ白な私は本当、やばいな。どうしようもねぇ。

と、自覚している。

普通の人なら、諦めるじゃないだろうか、これ。

 

でも、諦められるか! と、常識とかの壁を

超えて行こうと挑戦しているのが今なわけで。

そんな自分をとんでもなく馬鹿だなぁ、と思う反面、

やってみせるさ、と燃えている部分もある。

きっと今、やっと自分のレールをひきはじめた。