底辺ニートは社会復帰の夢をみる

社会復帰を目指す底辺職歴なしニートの日記帳

死ぬ気になるという本当の意味

死ぬ気になるという言葉がある。

昔は必死にやるだとか、これでもかというほど頑張るという

意味だと思っていたのだが、

今はこれは違うのだと確信している。

 

一度、どん底まで落っこちた時、

どうしようもなく苦しい日々が続いていた。

明日死ぬのか、今日死ぬのか、なら今死ぬのか。

どうしようもなくうつうつとした気持ちで、

酷い片頭痛が来た時、痛み止めを飲んでも収まらない痛みと

そんな気分が重なって、包丁を手に取って死のうと思った瞬間もあった。

もっとも、それでどうやって死ぬか分からず

死ぬ方法を考えているうちに痛みでもがいて暴れている内に

疲れて眠ってしまったのだが。

今、考えると一瞬でも思考力を取り戻して

首切れば死ぬじゃんと思いついたら今、此処にいなかったのではと思う。

恐ろしい話である。

 

さて、いつも通り脇にそれたが

死ぬ気になるというのはつまり、死ぬという事を

覚悟するという事ではないかと思う。

自分の中の最低条件を決めるのだ。

これができなきゃ死んでやろう、そういうものをだ。

そう決めつけてやると、いがいとやる気になるというか、

やらなきゃいけないという気持ちになる。

ケツに火がついた状態になる、常時だ。

 

死にたくないと思えた人なら、やる気になるだろう。

死にたいと思っている人は、これぐらいできない自分なら

死んでも問題ないだろうと気持ち、楽になるかもしれない。

後者はかつての私で、前者は今の私だ。

 

あれだけ殺してくれと願っていたが、

今は死にたくない。一日でも長く生きていたい。

そう思う。

 

これぐらい出来なきゃ死んでもいいと思って頑張っている内に、

なぜか死にたくなくなったのだ。

妙な話ではあるが。

とりあえず今は訓練を頑張り、就職して、50ぐらいまで生きるのが目標だ。

50以上まで生きるかは、50になってから決めよう。目標は当日更新制だ。