底辺ニートは社会復帰の夢をみる

社会復帰を目指す底辺職歴なしニートの日記帳

過去に学べ

良い機会だからと掃除をしていた。

大体は古いものでこの機会に捨ててしまうかと

思いつつも、なぜか捨てる事ができない。

またの機会にするかと中断してそれらをしまい込むと

なんとも懐かしい物が出て来た。

それは、自宅学習(数学用)のノートと修学旅行の掲示物だった。

 

昔、自宅学習をしましょうという担任だったか

担当教師だったかの言葉があり、自宅学習用のノートを作る事になった。

中学時代、はぶりにはぶられており数名の友人としか交流が

なかったがその数名の友人はそこそこ優秀であり

彼らへの対抗心を無駄に燃やしていた。

所がノートを開いてみると見事に真っ白であった。

単純である、中学時代私は死ぬほど数学が嫌いだったのだ。

といっても嫌いの元をさかのぼれば算数からになる。

計算が遅く、九九も習得に苦労した覚えがあるし

いまだにパッと答えを出すことができない。

それに加えてとにかく挫折をしたのが確か図形問題。

三角形がどうだとか正方形がどうだとか、

ぐるぐる眼が回っていた覚えがある。

とにかく小学校からの積み重ねにより見事に数学は苦手になり

とどめの如く苦手な暗記が必要になる公式の暗記。

見事、心の底から数学嫌いになったのだった。

といっても勉強で好きな教科の方が稀だったが。

 

修学旅行の掲示物というのは、

そこに出かけた感想や撮った写真で

その場所の紹介をしようというものだった。

今開いてみると、本当にひどい。

字は汚く、写真もずれている。デザインもお世辞にも褒められたものではなく

なんとも適当に埋めました感溢れるものだった。

 

思い返してみると、小学校、中学校と興味のあるもの以外は

ことごとく雑な出来だった。

字のうまさも全く上達しなかった。これはおそらく、パソコンがあるから

良いだろという意識が根底にあるからかもしれないが、

今でもかなりへたくそである。

 

興味のあるものはわりと良い出来になる。

逆に、微塵も興味を抱かない物は下の下のから全く成長しない。

なんともクソみたいな特化型であるが今にして思えば

もう少し物事を深く観察できて、その中からやりがいを見いだせれば

今、とんでもない人間に成長できてたのでは、なんて思ったりする。

子供の成長は親次第なんていうが、そんな事はない。

結局は自分次第なのである。問題はその自分を変える切欠を

自分で見つけられるか、という話であるのではないか。

私も今からもう少し切欠を探してみようと思う。

成長を諦めない限り、多分人間は成長し続けられるのだから。