底辺ニートは社会復帰の夢をみる

社会復帰を目指す底辺職歴なしニートの日記帳

足りぬものは他から補え

最近、帰るころにはすっかりエネルギーがすっからかんになっている。

お腹は減るし、眠気は酷い。

体の中の力をほとんど使い切った様な感覚を味わっている。

まぁ、使っているという事は少なくとも

真剣に訓練に励んでいるということなのだろうか、ならいいのだけども。

疲れた、あぁ疲れたなぁ。

今もものすごく眠い。いや、それは当然か。もう10時だもの。

 

自分は力が足りないなぁ、というのはいつも思っている事だ。

まぁ、それは仕方ない。だからそういう時は外から補う。

つまり、他人の力をさっさと借りる事にしている。

運がいいことに周りの人たちは人が良い。助かっている。

 

といっても、悩まないというわけではなく

悩む時間を決めている。

悩んで、悩んで、それでも駄目だ。

と、いうところで人の力を借りている。

すぐに答えを出してはいけない。

でも、答えを出さないままでもいけない。

 

なんとも塩梅がむずかしい。

何せ、私はさんすうドリルはすぐに答えを見ていたほうだ。

すぐに答えが欲しがるこの性質は一生抱えていくのだろう。

つれぇーーーー!

自分が偉いとは思わない。出来る人だとも思わない

聞かれた事に答えたり、アドバイスをした時にいつも思う事がある。

余計な事をしたのでは、悩む時間を減らして

相手の成長の機会を奪ってしまったのでは、というのも多いが

自分は偉そうに見えたのでは? というか間違ったことを教えたのでは?

と、いう事の方が多い。

 

正直な話、恐れ多いのだ。

自分を卑下する事はやめようと思いつつも

ついつい、自分を下に置くことで安心を覚えている。

傲慢な顔がこんちにはするのが怖くて、なるべく偉ぶらないようにしようと

瞬間づけていたのがデフォルトになってしまった結果である。

まぁ、少しずつ改善しようとはしている。

 

自分が偉いとは思わない。出来る人間だとも思わない。

いつかは人に道を示せる人間になりたいけど、

今はとりあえず副官的なポジションでおちつけるぐらいに自分を磨きたい。

どうなるかなぁ。

視覚6割聴覚3割

音楽を気に入って、当時は買わなくても

数年後、好きだったなーとCDを買う時がある。

あの時好きだった曲、気に入ってた曲。

また聞きたいなと思って購入してみるものの、

何か足りないなーと思う時が多い、まぁ、アニソンだからである。

 

要するにそういう曲はEDというより、

OPだったりする事が多い。派手な演出。

そこに合わせられた音楽。それを含めて好きな曲だったのだが

その瞬間は気づくのだが、すぐに忘れていたりする。

 

人間の物事は視覚で6割判断していて、聴覚で判断しているのは

およそ3割だという。そら、どっちかというと目で楽しんでいたのだから、

耳だけで聞いてもその楽しさがどこか欠けたような気がするのも仕方ない。

 

それでもまぁ、よく聞く音楽があった。

マクロス7というアニメの中で登場する、

FireBomberというバンドの曲だ。

悲しい時、辛い時いつもかけていた。気に入った曲だった。

数年後、ぱくりというか元のバンドがあって

そのオマージュ曲だったとしった時は散々反論したものだが、

今となっては、まぁ、その意見も理解できる、ぐらいに落ち着いている。

といっても、その音楽はいまだに好きだ。よく聞いている。

この曲だけは今も変わらず好きでいるのは、

視覚6割聴覚3割という常識だけにあてはまらない

なんというか、本当に大好きなんだという事だと思う。

 

私もいつか、それだけ人に愛されるものが作りたいなぁ。

2カ月

気づけば訓練開始から2か月になるのであろうか。

そろそろ、節目か。

9月には仕事を探し始めろと言われているので

訓練の休み休みにハロワークを覗いている。

 

★★★未経験者募集★★★

 

どうみてもやばい。アウト。

 

未経験者可。

 

学歴でアウト。

 

などなど、いろんなものにはじかれつつ、

ヤバイものははじきつつお仕事を探している。

じっくり選ばずとりあえず入ってみろって? 

それは駄目だろう。最初が肝心なのだ。

やめる様な場所では意味がない。

というか、先がない。

 

お仕事を探し始めたのは去年ぐらいからだったと思う。

定期的にハローワークに行ったりしていて、

本格的に探し始めたのが今年からだったが

もうやぶれかぶれだ! ここだぁ!→ネット情報ばりばりのブラック企業

お、此処よさそうだぞ! どうだぁ!→応募した後にブラック企業だと判明する。

 

経験がなかったというのもあるが、よくもまぁブラック企業一本釣り

という感じであったなぁ、と思い出す。

私の目が悪いのか、目の届く位置にあるブラック企業が悪いのか。

永遠の命題である。

 

今日、痛感したのはやはり私は凡人なのだなぁ、という事。

独りでやった事はことごとく、失敗で。

やはり、間に誰かのチェックが必要らしい。

くやしいなぁ、と思いつつ今回の事を教訓にしよう。

慢心も驕りも二度と起こしてはならない。

 

自分に自信を持ちつつ、

適度に謙虚に。

実に難しいものだ。

やばい求人というのは一目

54 年

少し前だろうか、自分の残りの寿命というのを計算した事がある。

80歳らしい。まぁ、そんな長生きする気はしない。

80歳で死ぬ確率は3%。それ以降も長生きする確率は40以下。

低いというのか、高いというのかなんともいえない。

なにしろ、そこまで生きる確率がすっかり抜けていたのだから、

あてにならないものだなぁと思った。

 

ふと、あと54年生きるというのがどういう事か考えてみた。

結婚はしてないだろう、おそらく。

年金を貰ってるか微妙だが、ぶっちゃけ貰わないと

80歳で働くなんてほぼ無理なので貰ってるのだろう。

だが、今まで働いていなかった分月の年金は父より3、4マンほど安い筈。

贅沢はあまりできず、コンビニでおにぎりをぼそぼそとむさぼる生活。

いやだなーーー!!

定年して数年ぐらいでしにてぇーーー!!

 

長生きはしたくないけど、なるべく生きていたい。

でも、死ぬときは全部やりつくしてポックリ行きたい。

なんとも贅沢な悩みか。体に正確な寿命メーターでも出てれば

もう少しマシな行動方針を立てられそうな気がする。

でも、それはそれでいやだなぁとか思いつつ、今日が終わる。

 

また一週、頑張るかぁ

生きるという事

ふと、本屋でラノベ作家になりたかったとか

そんな感じのタイトルを見かけた日の事を思い出す。

昔は私も目指していたなぁ、というか

オタクニートの10人に5人ぐらいは目指すのでは、と思う。

中には本気の人もいるだろう。

ひょっとしたらデビューしてしまう人もいるかもしれない

では、自分はというと当時は本気だと信じていた。

が、今思うと本気ではなかったのだろう。

あの頃は自分という存在を繭で包んでいた。

自分というものが存在しなかった。

だからこそ、あの夢は贋作でしかなくて。

ただ、夢を持つ人に憧れた、

起きればすべてが消えてなくなる泡沫の夢だったのだろうと思う。

なぜ、そこまでして夢を必死に求めたのか。

まぁ、それは単純な話で。あの頃の私は、毎日死にたいと思っていたのだ。

 

生きる意味が欲しかった。

というのは何か擦れた戦士の様な感じなのだけど、

私の場合はちょっと違って、私はというか死に憧れがあった。

よくアニメとか出てくる破滅主義者を見ると「それ、わかるぅーーー!」

と、共感してしまう事もしばしばあった。共感したくないけどなぁ、あんなクソと!

多分、子供の頃に短期間に死に触れすぎたのが原因なのだと思う。

親族や知り合いの笑顔ではないけど、安らかな死に顔が記憶に残っている。

その顔が美しいと思ってしまった。だから死に憧れた。

彼らは生きぬいた挙句死んだのだからあんな安らかな死に顔だったのだ。

ならば、私も死ぬために生きよう。そんな事を思いながらも10年も20年も生きた

が、生きれば生きるほど生きたくなるし、同時に早く死にたくもなる。

4:6で若干、死にたいが勝っていた気がする。

そこにニート期間に抱え込んだ焦り、無力感。もろもろの心労が加わり

1:9でかろうじて生きているような毎日が続いていた。

長くなってきた、端折ろう。

まぁ、なんだかんだで最終的に私は死んだ。

 

いやまぁ、本当に死んだ訳じゃない。

ある日、どこかでこんなものを見た「生きる為に最低条件を決める」

そんな話をちらほら見かけたのだ。たぶん、複数あったのでついったーだった

様に思える。なるほどと思った。要約すると単純な話で。

「これさえあれば生きていい。これさえ守れないなら死んでいい」

「毎日を最後の日だと思え。明日には死ぬと思え」

なんというか、私にはその生き方がぴったりだったのだ。

結果、その生き方は今も続いている。

 

毎日を全力で楽しもうと思った。

学ぶなら全力で学ぼうと思った。

働くなら、やはり全力で

稼いだお金でやはり全力で遊ぶのだ。

心の残すことなく、満足する1日を送る。

なるほど、いい死に顔が出来そうだ。

50か60かあるいはもっと先か。

そこまでなんとか生きれそうな気はしている。

 

繭であったのかもしれない

私はニートだ。

厳密にはもう、訓練校通いでニートではないのかもしれないが

就職できるまでは、心の中ではそう呼ぶことにしている。

でもまぁ、最近はそんな心の中で自分をそう呼ぶことも減って来た。

終わりの時が近い、そんな予感を感じているのかもしれない。

ニートの終わりが。

 

ニートである期間というのは無駄だったことが多い。

最初の半年、自力でゲームを作ってゲーム会社に就職しようとした。

でも、全くわからくて頓挫した。

受験勉強を2年ほどした。でも私にはやりたい事も

目指すものもなくて、受かる事はなかった。

それからの日々は怠惰だった。

変わり始めたのは何時からだっただろう。

多分、少しずつ変わり始めたのは一年ぐらいたったころ、

久しぶりにふと思い立って創作活動を始めた頃だったと思う。

 

かつて作った小説は一度もコメントを貰えたことがなくて、

それだけでつまらないものなのだろうと痛感した。

道行く人の様に無関心で、目に入ってもすぐに忘れられてしまうもの。

それに自信をなくして、夢からも逃げて、何も目に入れたくなかった当時、

本当にきまぐれで始めたものだった。初めてで粗も多く、酷いと思った。

でも、やるからには全力でやろうと始めると、意外と反応を貰えたのだ。

「面白いです」「また待ってます」

そんな気持ちに支えられて、最後まで走り切った。

それは二次創作で、言い換えれば猿真似か、あるいは人のふんどしで相撲を取った

そんな事にすぎない。でも確かにあの瞬間から、私は少しだけ変わり始めた。

 

昔の私の世界というのは単体で完成していたのだろう。

うわべだけ取り繕って、馬鹿にされても笑顔で、道化役を演じ続け

まともな人間ですらなかった気がする。

そうなると、今の私はようやく生き始めた、そんな所だろう。

 

ニートである期間は私にとって繭だった。

そして、今、私はその外に居る。ようやく生き始めて、

全身で世界を感じている。

蝶なんて言わない私はそこら中にいるありふれた蛾だ。

でも、それでもいいと思える。

かっこよくなくても、それでいいと思える。

 

目で見て、耳で聞いて、触れて、

五感で世界を感じている。

世界を感じられなくなったら死のう、そう決めたあの日から、

私は今も目標に走り続けている。今度はしっかりと夢に向かって。